フィラデルフィア補習授業校とアメリカの教育
                         岡山市立南輝小学校       教頭  斉藤 輝三
 
 平成8年4月から,平成11年3月までの3年間,在外教育施設派遣教員として,アメリカ合衆国ペンシルベニア州フィラデルフィア郊外にあるフィラデルフィア補習校に,勤務してまいりました。
 派遣が決まったとき,フィラデルフィア補習授業校についての知識はほとんどなく,英会話教室へ通ったり,補習授業校へ勤務された経験のある先生から,いろいろと教えていただいたことを思い出します。 
 アメリカは、やはり素晴らしい国でしたし,多くの,心優しい人たちと出会うことができました。3年間の勤務が終了した今,ぜひもう一度行ってみたいと思っています。
 
1 フィラデルフィア
                        
(1)位置
 
 フィラデルフィアは,アメリカ東海岸の二大都市ニューヨークとワシントンDCのちょうど中間に位置する緑あふれる歴史の町です。緯度は岩手県盛岡市とほぼ同じですが,暖流であるメキシコ湾流の影響を受け,高緯度に位置しているわりには比較的温暖で,
過ごしやすい気候でした。
 
(2)歴史
 
 17世紀の初め,キリスト教の一派であるクェーカー教徒によって開拓され,ギリシャ語で兄弟愛を意味する市名がつけられました。イギリス国王からこの土地を委譲されたウィリアム・ペンの保護のもと東海岸の商工業および交通の中心として発展をとげアメリカ独立の際には首都としての役割を果たしました。造船業を中心として21世紀初頭まで,アメリカ経済の中心として栄えました。
 現在は,ペンシルベニア州の商工業の中心として,またフィラデルフィアオーケストラ・フィラデルフィア美術館・ペンシルベニア大学に代表される文化・学問の街として,アメリカ第六の人口をようする大都市です。落ち着きをもった古い都市である反面,人種・経済問題で悩む近代都市でもあります。
 
(3)日本とのつながり
 
 1853年にペリー提督を乗せて浦賀湾を訪れ,日本の鎖国に終止符を打った旗艦は,フィラデルフィアで造られたフリゲート艦ミシシッピー号でした。
 1872年には,西洋文化を学ぶため日本政府から派遣された岩倉具視代表の欧米視察団がフィラデルフィアに立ち寄っています。視察団に加わった女学生の一人に津田梅子がいました。
 「太平洋の架け橋」になりたいという言葉を残した新渡戸稲造や内村鑑三・野口英世らもフィラデルフィアと関わりの深い人たちです。
 
2 フィラデルフィア補習校
 
(1)補習授業校とは
 
補習授業校というのは,現地校で学ぶ子どもたちを対象に,土曜日や日曜日を利用して日本の小・中学校で学習する国語や算数・数学などの科目を勉強するために設けられている学校です。
 ここでは日本の教科書を用い,日本人の先生により一定の指導計画に基づいて授業が行われます。ただ,授業の時間が,現地校の休日である土曜日や日曜日を利用するために,十分な時間をとることができません。また,現地校の校舎を借用して授業を行うという不便さや,指導する先生を確保することが難しいなどの理由で,多くの補習校が,国語を中心に算数・数学の学習を主体にして,学校によってはこれに社会科・理科を加えるという形態を取っています。
 なお,児童生徒数が百人以上の補習校には政府派遣教員が配置されますが,現在北米地区にはそのような学校が32校あります。
 
(2)学校要覧
 
 フィラデルフィア補習授業校は,日本人およびあらゆる国籍の子ども達のために設立された学校です。幼稚部・小学部・中学部・バイリンガル部より構成されています。
 短期滞在の子どもには,日本の教科書を利用した日本語による授業を行い,日本帰国後,学齢相当の授業に円滑に適応できる程度の学力を保持することを目的とし,他国籍および長期滞在の日本人の子どもには,日本語の習得に力を注ぎ,日本および日本を理解できる国際人を育成することを目的としています。また,言語,文化を通して,日本・アメリカ両国の友好と理解を推進することを目的としています。
 週に一度の学校ではありますが,「アメリカにいることで得られるものを最大に,日本にいないことで失うものを最小に。」をモットーに,幼稚部から中学部までの約230名が元気に楽しく学習しています。
 最近の日本語学習熱の高まりを受けて,バイリンガル部では,現地の高校生にも門戸を開き,約20名のアメリカ人が熱心に日本語を学習しています。
 
(3)借用校
 
 校舎を借用しているフレンズ・セントラルスクールは,明治時代に,新渡戸稲造・内村鑑三・津田梅子等が出入りをしていた,モーリス家の邸宅を学校としています。明治時代の偉人達が集まった建物で,補習授業校の児童生徒達が,毎週土曜日に勉強できることは大変幸せなことでした。フレンズ・セントラルスクールは,我々に対し,すべてにおいて好意的に対処してくれました。
 
(4)学校運営
 
 補習授業校の運営上の課題は,指導体制の確立です。児童生徒の多様化,教員の確保,施設の借用,実態にあったカリキュラムの作成等さまざまな問題があり,補習授業校の教育を推進していく上で,校長の役割は重要でした。
 ビザの関係等で教員の確保が非常に難しいなかで,3年間全学級の授業を一時間も欠けることなく,予定通り実施できたことはありがたいことでした。授業参観をしたり,毎授業後,授業の記録を提出してもらい,指導助言することを通して先生方と常にコンタクトをとりながら資質の向上に努めました。教師と保護者との信頼関係がきちんとできれば,たいていのことはうまく行く,そのためにも質の高い授業しようと訴えてきましたが,先生方はよくやってくださいました。
 父母および保護者は補習校運営の主体者であり,日本政府,日本企業は協賛のもとに,学校運営の経費を分担し,理事をはじめとし,主としてボランティアの活動を通じて教育活動を遂行する。と学校設立の趣意書に書かれているように,補習校生徒の各家庭は,6つある業務部会のいずれかに属し,その運営に携わることになっています。そのように,保護者は補習校の運営に協力的であり,熱心でした。
 
(5)学校行事
 
 学校行事としては,5月に運動会,11月に学芸会,毎学期に参観日と個人面談を実施しています。
 運動会は,借用校のグラウンドを借りて,徒競走・綱引き・玉入れ・リレー等日本の運動会と同じような内容で実施しました。
借用校のホールで行われる学芸会は大変素晴らしいものでした。なかなかの名演技で,子どもたちの一生懸命発表しようとする態度は見ていて感動しました。
 派遣2年目が補習校の創立25周年ということで,創立25周年記念餅つき大会を行いました。臼と杵を借用し,楽しく餅つきができ,おいしいお餅を食べることができました。 バザー(古着・古本市),テニスパーティー,ゴルフ大会と多岐にわたり,ファンドレイジング活動が行われています。単にお金を集めて財政負担をするだけでなく,補習校に対する父母の関心を高め,学校全体のスピリットを高揚させる目的があるようです。補習校が本来ボランティアの手によってつくられ運営されているという基本姿勢を理解するのに,ファンドレイジングの活動は不可欠であるとされています。
 
3 アメリカの教育
 
 アメリカの教育制度は地方分権制の原理に基づいており,教育の基準は,州の教育法で規定されている場合が多いようです。教育体系も6−3−3,6−2−4,5−3−4年制等州や学区により多様で,隣接する地域でも,学区によってその体系が異なることもありました。
 私がいたペンシルベニア州の学校でも,小学校はこうですと一概には言えないくらい多様化していました。公立と私立では,その規模から教育の内容まで全く異なるものでした。学校にかかる主な費用は国や州とともにその地域が税金として負担するので,裕福な家庭が多い地域と貧しい家庭が多い地域では,教育にかける費用が違い,子どもたちが受ける恩恵も違ってきます。
 毎週発行していた補習校通信に,現地校で参観できる日があありましたらおしらせください。とお願いしたら,保護者から連絡をいただき,いくつかの現地校を訪問することができました。学校によって教室の構造や指導のスタイルが異なり,日本の学校に慣れているものにとっては,驚きの連続でした。そんな中で,補習校で学ぶ子どもたちが,現地校の子どもたちと同じように頑張って学習している姿を見て感心しました。
 現地校の授業参観を通して,感心するところがたくさんありましたが,特に印象に残っているのは,先生が子どもをしっかりほめることです。「グッドジョブ」「エクセレント」「ナイス」「ワンダフル」「グレイト」と大げさにほめ,間違った答えを言っても,頭からだめとは言わずに「ナイストライ」と言って,次の意欲をかきたてるのです。
 低学年では,先生の周りに床に座って話を聞きます。先生は一人一人の名前を呼び,必ず目と目を合わせて,コミュニケーションをはかります。クラスの生徒全員が発言し,皆がその意見を聞くように促します。
 幼い頃から一人一人が自分の考えを述べる教育を受けているのを特に感じました。大勢の前で,自分の思ったことを発表し,人の意見もよく聞く,考え方は違っていてもそれでいいのだという教育が行われていると思いました。
 また,現地校の先生から,補習校で学んでいる子どもの現地校での適応の問題で連絡があり,話し合いを持ったこともあります。カウンセラー,ESLの先生,担任の先生と3人の先生方が,一人の日本人の生徒をどのように指導していけばよいか,真剣に検討してくださっていました。
 
4 おわりに
 
 3年間一度も健康を害することなく,毎日元気に勤務できたことは幸せなことです。一人で学校運営をしていくことは大変でしたが,文部省・外務省・ニューヨーク総領事館・理事会・父母会・および現地採用教員等多くの方々の協力により無事3年間の任期を全うすることができました。借用校のヘッドマスターをはじめ多くのスタッフの方々にも大変お世話になりました。補習授業校の運営を支えてくださった方々に深く感謝します。
 子どもたちが楽しそうに登校し,生き生きと学習に取り組み,充実した補習校生活を送ってくれたことが,何よりも嬉しいことでした。
 保護者全員が,学校運営の中心となる業務委員会のいずれかの部会に所属し,ボランティアとして活動に協力してくださいました。行事のたびに,子ども達のために献身的に働いてくださる父母の姿に感激しました。子どもと共に楽しみながらボランティア活動をしてくださる親の姿を見て,教育とは共育であるという思いが強くしました。
 この3年間で得たものを生かして,子ども達の教育のために,頑張りたいと思います。